canashiroのブログ

はてダ挫折者の再挑戦。

萌えは隠語か

先日、朝日新聞に「萌えとはなにか」という記事があって、そのしめが「これだけ世間に浸透してしまったので、現在では萌えを使う人が減っているかもしれない。それが隠語の常である」という論調だったのだが、現在においても果たして萌えは隠語として生き延びているのだろうか。
萌え - Wikipediaに萌えに関する歴史的考察が詳しく述べられているが(よくできているので興味のある氏は一読をおすすめする)、現在において萌えはもはや隠語として成り立たなくなっており、むしろその言葉の便利さから多様性を増し続けているというのが僕の主張である。
萌えを使う人間は当初よりも爆発的に増加しており、いわゆるおたく界隈の人間だけに限定してみても(つまり電車男以降のマスコミによる萌えの乱用を度外しても)その多様性の取得はとどまることを知らず、使用用途は増加し続けているように見える。その結果、萌えは世間に浸透した隠語としてその生をおえることなく、今後も多様につかわれていくんではないかなぁ、と思うしだいである。