canashiroのブログ

はてダ挫折者の再挑戦。

応援団。

いわゆる応援団の演舞というものに対して「だれがだれをどのように応援しているのか」の部分がすっぽりとぬけおちており、その点非常に腑に落ちない。少数精鋭がみなを鼓舞するために舞うというのであればそれはまだ納得がいく。(なぜ舞う必要があるのかにつては非常に納得しがたいものがある)


閑話休題
エンターテイメントとして応援合戦を眺めるに際して、もっとも効果的であるのが俗に「よごれ」と称されるパフォーマンスであろうと思う。もっとも、後述するようにこれらは”高専生にとって”楽しめるパフォーマンスであるが)その点で、個人的に今年度の応援合戦は非常に点数の低いものとならざるを得ない。これには、高専生となってはじめて目にした「プロレスで応援合戦」という("彼ら"に言わせれば非常に悪しき)刷り込みが大きい。応援合戦なのにプロレスというミスマッチと、プロレスというショーのもつエンターテイメント性の高さがあいまって非常にすばらしいものだった。形だけの演舞ほどつまらないものもない。(ベストキッドなみに強まった演舞ならともかくとして、だ)


さらに方向転換。
点を取るため、勝つための応援合戦演舞について。応援合戦の勝敗を決めるのは審査員である。審査員は各教官、売店のおばちゃん、7-11のオーナと年齢層が高い傾向にある。この年齢層に受けることを考えるのが正しい”応援団の勝ち方”である。僕らにとってじゃ退屈であっても彼らにとって「演舞」は正しき応援団のあり方として重要である。演舞がいかに綺麗でまとまっているか。ここが重要なのである。演舞の種類については、あまり重要ではないと思える。僕らと違い、彼らは膨大な量の応援合戦、演舞を見てきているからだ。オリジナリティよりもトラディショナルで美しい演舞をすることが重要であろうと思う。ただ、あまりにながい演舞は学生にうけが悪い。学生の"しらけ"が審査員にも伝わる可能性は十二分にあることも考慮すべきだ。
また、わかりやすさも重要である。前述のように演舞だけでは足りぬ(足りぬことは今年度のM科が証明してくれた)。(KCTにおいては)一般的となった華々しいパフォーマンスも必要である。その際に、ひねったネタを投入するのはよくない。演舞同様に見ていて美しい、典型的なショーを展開すべきである。(たとえばチアガールや、ダンスなどだ)
この2点において、S科やD科は他3学科を圧倒しており、その点差は(好評されてないにしろ)割と大きかったのではないか、と私は考える。