canashiroのブログ

はてダ挫折者の再挑戦。

目に見えるもののイメージ。

同じ物体をみたとしても人によって異なるイメージでそのものを捕らえているんだと思う。
たとえば、同じ風景をみたときに女性に目が行くひともいればその女性のよこにとめてある車に目が行く人もいる。その背後にたつビルに目が行く人もいるし、空の天気が気になるひともいる。
また、同じ車を見るときにもタイヤに目が行く人もいるし、そのボディ形状に目が行く人もいるし、そのボディの色に目が行く人もいる。
それはその人にとってどのファクタ−が最も重要か、という問題によって異なるのだと思う。
そのイメージの捕らえ方はその人の脳がどのようになっているか、ということによって決定される。
たとえば僕は化学を専行する学生で、趣味でパソコンをやっている。ある具象を考えたときにそれに化学的な解釈を加えることは多々あるし、映画などでパソコンがうつると「あれ、このパソコンはどんなシステムで動いてるんだろう」なんて風な見方をしてしまう。(ロボコップMS-DOSで動いている)
よく使われるたとえで、人間をみたときに化学屋は一連の化学反応として捕らえ、物理屋はひとつの物体として捕らえ、生物屋はホモサピエンスとして捕らえ、情報屋はひとつの処理系としてみる、というようなたとえがある。
これはその人達の脳が「化学脳」「物理脳」といった風に特化されているゆえに起こる現象だろう。
絵が書ける人は絵を書くための「脳」をもっていて(「目」ではない、目から伝えられる入力情報は同一で、それを脳が処理して取捨選択、イメージ化するのだから)絵を書くためのイメージを簡単に得ることができる人なんだろう。
だから絵を書く練習というのは「絵を描く味噌」を手に入れる練習であるのだ。
そのように人によってものに対するイメージは千差万別であり、そのイメージを元に夢をみるのだから、些細なディティールなどは重要ではないのだよ、という話>七夜(id:nanaya)君。