canashiroのブログ

はてダ挫折者の再挑戦。

総評:

2000年は一言で言うなら「闘い」の年だった。
そのなかでLIMPIZKIDのようなアメリカ的他国籍企業な音楽が蔓延した。
RIZEやDragonAshは若者に闘争を呼びかけ、若者はそれにこたえた。
そういった現実に中村一義くるりは怒りの声をあらげ、COILは外へ飛び出した。
その一方でダフトパンクは「ワンモアタイム」と懐古主義的な言葉を近未来的なリズムにポップなメロディラインをのせたサウンドで歌い上げた。電気グルーヴは笑い飛ばしちまうしかない現実をまさにギャグとして笑い飛ばした。ミッセルガンエレファントはあいかわらず孤高のところにたっているようにみえたが、チバは「救いたい」と発言した。
サニーデイサービスは膨れ上がる曽我部恵一という磁場に耐え切れず解散した。
Pilowsはシングル二枚のみという地味な活動を続け、GRAPEVINEはためきったエネルギーを「ふれていたい」で爆発させた。テクノ、ハウス以降の音楽はそれをただ吸収するだけでなく消化させ、独自の音楽としてさらなる飛躍をみせようとしてくれている。
そしてスーパーカーは歌う。「歌はまだ歌のまま、夢のような日の夢」
傘がない、陽水のうたいあげた現実はかわらない。しかし、都会の若者は自殺をやめ他殺をはじめた。
自己の中へと向かっていたベクトルが外へと爆発し始めたのだ。胎動の予感?