canashiroのブログ

はてダ挫折者の再挑戦。

シンゴジラについて

シンゴジラについては何を語ってもネタバレになりそうなので老骨にムチを打ってブログを書きます。

シンゴジラについて何を語ってもネタバレになると僕が感じたのはつまり、このシンゴジラが徹頭徹尾「演出を楽しむ」映画である感じたことに付きます。
已にネット上に幾つか記事があがっているように、コレを憲法9条にからめて見ることもできるでしょう、東日本大震災原発事故にからめて語る事もできるでしょう。しかし、これは、その要素はスパイス程度にいれてあるのであって、本題ではないのではないでしょうか。
つまり、ゴジラである以上多少は放射性物質、科学的文明への警鐘要素がなくてはならないという要請から来るものであって、監督以下スタッフが本当に描写したいものではないのです。

監督以下スタッフがやりたかったことはなにか。それはつまりゴジラを撮るということだろうと思います。だかその上で上述の要素は不可避だった。だから入れた。それ以上でもそれ以下でもないと思います。無論、それを深読みすることは受けての自由ですが。

そして、もう一つ、シンゴジラの成功?の立役者は樋口真嗣であるということも僕は強く感じました。これまで樋口真嗣ローレライ以下、オタクに叩かれながらも日本映画の中に特撮的な映画を作ってきました。それも興行収入面でそれなりの成功を収めつつ、です。彼は特撮的文脈を一定程度確保しながら、興行面で求められる要素をきちんと入れた映画をつくってきた。彼は庵野秀明がシンゴジラの総監督を務められるだけの下地づくりを行ったというべきだろうとおもいます。

もちろん、シンゴジラを「エヴァ的なもの」として語ることはできます。でも僕はエヴァ狂信者として敢えて言いたい。あれは庵野的なものであって、エヴァではないと。世の皆さんがエヴァに何を求めているかはわかりませんが、私はシンゴジラ庵野秀明の演出的な手腕は見出しこそすれ、ごく狭義の「作家性」を感じませんでした。彼はこの作品においてあくまで面白い特撮をとろうと言うことに徹したと思います。そして、本来あるべき監督の職務を果たしたと思います。一方で次のエヴァンゲリオンでこんな大人しい、大人の仕事をしたらゆるさねーぞ、という思いがあることを告白します。*1

ともあれ、いまのところ、特撮ファン、オタク層には好評なようですが、映画の日の月曜日に僕が行った劇場では決して動員が良いとはいえませんでした。オタクは概ね公開からスグに映画館に行くものです。次の週末以降、この映画がどのような興行収入を達成するのかは、興味深く見守って行きたいと思います。

*1:大人げない作品をつくっても許しません。僕は彼がどんなエヴァンゲリオンをつくっても決して許しません。